day45 88番、1番
いよいよ、今日の大窪寺が88番最後のお寺だ。泣いても笑ってもこれで終わりだ。
この日の為に1ヶ月半ひたすら歩き続けた。
足に豆ができても、蕁麻疹ができても、足を捻挫しても、歩き続けた。脚を引きずりながら、苦悶の表情を顔に浮かべながら歩き続けた。
何のために歩いてきたのか、88番が終わった時にまた考えよう。
まずは歩き始めよう、目指すはひとつだけ88番の大窪寺。
やっぱり、最後も山だ。
登りの道路をひたすら歩き続ける。
遍路中に亡くなった昔の人達の墓石が多くあるようだ。
橋を渡る。
もう少しで遍路の資料館がある。
ここで、記念品などもらえるらしい。
ダムがある。
ダムの横が新お遍路ルートでものすごくきついらしい。
看板に詳しく書いてある。距離は短いのに一時間余分にかかるほどハードらしい。
ルートのイラスト入りの地図だ。
イラストを見ると楽そうだが、そんなはずがない。
資料館に到着。記念品をもらいに行こう。
すごい、88ヶ所のお遍路ジオラマだ。
自分が歩いて来た道だと思うと感慨深い。
お茶とお菓子を頂く。これが最後のお接待なのかも。そして、記念品のお遍路バッチと88ヶ所を徒歩で歩いた証明書も頂いた。
まだ終わってないのに、終わった気分になる。
そして楽なほうの旧へんろ道に行くことにした。
でも、全然楽ではない。
坂も急で、既に汗だくである。
更に急になっていく。
最後の最後は楽には終わらせてくれないようだ。
距離的には後、2時間位かな。
脚が膝が豆が肩がと、いろいろ痛くなってきて身体全体が悲鳴をあげているので、少し休もう。
猿だ。最初は10匹近くたむろしてた。
近づくとみんな逃げていった。
そして、集落にはいっていく。
重要文化財である細川家の家に立ち寄る。
江戸時代の家が再現されている。
屋根が藁だ。すごい。
いろりだ。
かなり長い寄り道だった。先を急ごう。
道標のイラストが芸術的だ。
後、僅かだ。1時間ほどで到着だ。
一歩一歩、噛み締めながら歩こう。
もう、これだけ歩くことはないだろう。
そう考えると脚の痛みも全く気にならなくなってくる。
残り、1㎞をきった。
やっぱり最後は坂道だ。
最後の最後まで辛い。
でもこの辛さも心地よい。
門が見えてきた。
到着だ。思わず笑顔がこぼれる。
お大師さまありがとう。
終わった。やっと終わったと思ったら、突然どしゃ降りの雨に。とりあえず、1番の霊山寺に御礼参りをかねて、戻ろう。もちろん徒歩ではない。
電車を使って徳島県に到着。
駅からは少し歩く。
45日前と同じところへ。
1番の霊山寺だ。
懐かしい。
御礼参りだ。無事もどってこれてありがとう。
杖が30㎝以上短くなっている。
杖と言うよりステッキのようだ。
これで、お遍路は完全に終了だ。
今日はそんなに歩いていないが非常に疲れた。
はりつめていた糸が一気に緩んだ感じだ。
1日休んでの45日で88ヶ所を全て徒歩でまわった。1200㎞の歩行である。
なんのために歩いたのか答えはまだでていないがこの45日間は多くのことを学んだと思う。
一番印象深いのは人間の限界は限りなく高いところにあるということだ。
そして、どんな渇望も嫌悪も時間とともに薄れゆく、無常ということだ。快楽も苦悩も一時的なものであり、楽しいことも嬉しいことも悲しいことも苦しいことも、全て過ぎ去ってしまうことである。だからこそ過去に嫌悪したり未来に不安を抱くよりも、今現在においてベストを尽くすこと、今一瞬一瞬を全力で生きることが大切だと実感した。予定は狂うし、未来は何が起こるか分からない。今を生きることが未来を作ることなのだろう。
このお遍路で歩き通したことは自分にとっては大きな意味を持つだろう。
道中、出会った多くの人達に感謝。
お遍路にはいろいろなバックボーンの人達がいた。
自殺未遂のニート、病院経営者、40歳のリゾートバイト、ホームレス、建設会社経営者、アフリカのベンチャー企業経営者、引退した会社員、フランスの看護師、アメリカ企業の御曹司、カナダの高校生、アメリカの大学生など普段出会うことのない人達と出会い、深い交流を持つことができた。同じ歩きお遍路という強い絆によるものだろう。
本当に出会ってくれてありがとう。